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岩川ありさ『物語とトラウマ―クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社)

岩川ありさ『物語とトラウマ―クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社)

発売日2022年10月6日  定価3,960円(本体3,600円) 

ISBN978-4-7917-7500-2 

青土社HP http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3727

 

「文学は、語れないことを語ることを可能にすると同時に、人を物語という枠組みから解放する。他人の物語を読み解いていく時の岩川さん独特の真剣さと優しさと丁寧さは、「おまえは生きていてはいけない」というメッセージを受け取らされてしまった人たちのことを一時も忘れることがないからだろう」

――多和田葉子

 

トラウマ的な出来事を経験した人びとにとって、文学や文化は生きのびるための表現となりうるのか——

多和田葉子、李琴峰、古谷田奈月、森井良、林京子、大江健三郎、岩城けい、小野正嗣といった現代作家の作品を丁寧に読み解き、物語を受けとるという営みとは何か、小説と読者が出会うとはどういうことか、それにクィア・フェミニズム批評はどうかかわるのか、自身の経験とときに重ね合わせながら文学や文化の力を見出していく。気鋭の研究者による、トラウマという語ることがむずかしい経験を語るために物語があるのだということを、そして何より新たな対話の可能性を信じるすべての人におくる、画期的な文学論。

 

 

[目次]

 

凡例

はじめに

 

序 章  トラウマを語ることはできるか?

第一章  境界の乗り越え方――多和田葉子『容疑者の夜行列車』論

第二章  改稿が示す「奇跡」――李琴峰『独り舞』論

第三章  上演された自伝、聴き手たち――古谷田奈月『リリース』論

第四章  クィアな記憶の継承――森井良「ミックスルーム」論

第五章  「バラカ」から「薔薇香」へ――忘却に抗う虚構の強度をめぐって

第六章  変わり身せよ、無名のもの――多和田葉子「献灯使」論

第七章  記憶と核の時代――林京子の仕事をめぐって

第八章  組みかわる物語――大江健三郎「美しいアナベル・リイ」論

第九章  読みなおすこと、回路をつくること――大江健三郎と「憑在論」

第一〇章 たがいを支えあう言葉の回路――岩城けい『さようなら、オレンジ』論

第一一章 前未来形の文学――小野正嗣『獅子渡り鼻』論

第一二章 記憶を伝えるということ――多和田葉子における「星座小説」

終 章  言葉は生まれ、物語が生まれる

 

参考文献一覧

初出一覧

あとがき

索引

 

[著者]岩川ありさ(いわかわ・ありさ)

1980年兵庫県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科言語情報専攻博士課程修了。博士(学術)。現在、早稲田大学文学学術院准教授。専攻は、現代日本文学、クィア・スタディーズ、フェミニズム、トラウマ研究。大江健三郎や多和田葉子らの作品を中心に、傷ついた経験をいかに語るのか、社会や言語、歴史との関わりにおいて研究している。本書が初の単著。

 

以下、2024年10月9日更新

 

岩川ありさ『物語とトラウマ クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社、2022年)、10月で刊行から2年が経ちました。本が出るまでに支えてくださったみなさま、読んでくださったみなさまに心からお礼申し上げます。

 

本当にありがとうございます。

 

今年(2024年)に入っても、田村美由紀さんが研究動向「ケアと文学」(『昭和文学研究 第89集』)で触れてくださったり、木村芙香さんの書評(『れにくさ = Реникса』 現代文芸論研究室)が出たり、青山和佳さんが論文(「共生をめぐる小さな自伝的物語り:トラウマを生きる」 東京大学東アジア藝文書院 編 『裂け目に世界をひらく:「共生」を東大リベラルアーツ講義』)で触れてくださったりしています。

 

去年は、近藤銀河さんのエッセイ(「三角測量とクィア批評と星座とホワイトじゃないフェミニズム」クィアZine『三角形』所収)などがあり、自分を超えて言葉が伝わったり、残ることの意味を感じています。フェミニズムやクィア、トラウマの観点、あるいはまったく違う観点から語りはじめる可能性になる本になれば、望外の喜びです。

 

これまで、藤野裕子さん『朝⽇新聞』、小川公代さん『群像』、藤木直実さん『昭和文学研究 87』、有元伸子さん『図書新聞3580号』、泉谷瞬さん『社会文学』、はらだ有彩さん『日本経済新聞』などの書評にも励まされました。一昨年、柴崎友香さんが『読売新聞』で触れてくださったのも本当にありがたかったです。

 

そして、書評会やイベント、読書会をしてくださったみなさま、感想をくださったみなさま、読んでくださるみなさまに何よりもお礼を申し上げます。ここからはじめられたことがとてもよかったと思います。これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

 

以下、「はじめに」より。

 

 心に傷を負う経験をした人びとにとって、文学や文化は生きのびるための表現となりうるのか。本書の問いは、この一点からはじまる。安全な場所で本を読んだ経験のない人びと、知りたい情報にたどりつくことに困難を抱える人びと、自分の物語を見出すことができないと感じたことがある人びと、言葉によって傷つけられ、言葉や人への信頼を失ったことがある人びと。

 本書の宛て先は、何よりも、まず、そうした人びとに向けられている。私は、フェミニストのトランス女性の文学研究者として、日々の生活を送っている。この本に収められた論文は、すべて、その生活のなかから生まれた。では、なぜ、こうした論文を書いたのか。それは、私自身が、生まれたときにわりふられた性別とは異なる性で生き、自ら生きたいと望む性で日々を過ごすようになってからも、幾度も、言葉を失うような心の傷を負ってきたからだと答えるよりほかない。ひどいいじめや性暴力を受けたこと。社会が私を見つめ、社会が私に求めてくるジェンダーとの葛藤に押しつぶされそうになるたびに、私は、物語のなかに生きのびるための言葉や表現を見つけてきた。そのため、本書は、私自身が生きのびるために物語を受けとめてきた経験とわけて考えることができない。

 一九八〇年に生まれて、阪神淡路大震災、リーマン・ショック、東日本大震災、新型コロナウィルス感染症拡大など、危機の時代を私は生きてきた。どうやって生きるのかについて手探りし、苦しみのふちに沈み込みそうになるとき、本書でとりあげた小説は別の生のあり方を示す物語を教えてくれた。ジェンダーやセクシュアリティによる差別が吹き荒れ、人種差別や民族差別が世界中を覆っている時代。そのなかで、これらの小説は、自分でも気がつかなかった傷のありかを教えてくれ、ときに傷をかばってくれた。

 だが、本書に収めた論文は、心に傷を負う経験について、回復すべき目的地や終着点をあらかじめ決めてから書きはじめたのではない。本書で探究したいことは、私も含めて、言葉にすることすらできないほどの衝撃的な出来事を生きのびた人びとが、聴くことと語ること、読むことと書くことの繰り返しのなかで、聴き手や語り手、読み手や書き手となってゆく過程について明らかにすることである。私は、今でも、トラウマとともにあり、回復の途上にいる。

 物語を受けとるという営みは、人びとの生存や尊厳とどのようにかかわるのか。また、さまざまな文学や文化の研究は、生きづらさをつくりだしている社会を問いなおし、再生させる手がかりとなりうるのか。そうした問いに答えることで、また、本書に登場する小説と読者のみなさんが出会うことによって、本書が、傷ついた経験を生きのびようとしている人や生の足場をつくろうとしている人にとっての「生存の書(サバイバル・ブック)」になればよいと考えている。(岩川ありさ『物語とトラウマ クィア・フェミニズム批評の可能性』青土社、2022年、11-12頁)

 

そして、村上公子さんが、早稲田大学ジェンダー研究所の紀要『ジェンダー研究21』 (13、2024-03-29所収)に、『物語とトラウマ クィア・フェミニズム批評の可能性』のすごく詳しい書評論文を書いてくださっています。私自身が気がついていなかったことまで書いてくださったと思います。リンク先からダウンロードして読めます。リンク先の下の方にダウンロードできるボタンがあります。  

 

・村上公子さん『ジェンダー研究21』 13、2024-03の書評。

https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001793